植物のある暮らしの始め方|私が部屋に小さな緑を増やしたい理由
植物のある暮らしを始めたい。でも、最初の一歩が踏み出せない。
そんな方の背中をほんの少し押すために、私が植物のある暮らしを始めたきっかけ、それから植物のある暮らしの楽しさについてまとめてみました。
私は中学生の頃から植物を育て始め、気づけばもうずいぶん長く植物たちとともに暮らしています。
とはいえ、特別植物を育てるのが得意なわけではありません。
今でも枯らしてしまうことが多々あります。
それでも、緑のない部屋に寂しさを感じるほど、私にとって植物たちは今やとても身近な存在です。
それでは、私がどのように植物のある暮らしを始めたのか、そしてなぜ部屋に小さな緑を増やしたいと思うのかについて、これまでの植物たちとの思い出を振り返りながらお話ししていきます。
▼目次
- 植物のある暮らしを始めたきっかけ|中学生の頃に出会ったマダガスカルジャスミン
- 植物を育てる理由|得意ではなく、ただ「好き」
- 植物のある暮らしの楽しさ|思い通りにならない自由な姿
- 植物の歴史の面白さ|人と共に歩んできた長い時間
植物のある暮らしを始めたきっかけ|中学生の頃に出会ったマダガスカルジャスミン
中学生の頃、母親と一緒に訪れた近所の園芸店で、マダガスカルジャスミンを見つけました。
濃い緑の厚い葉に、白く香りのいい花をつけた、とても綺麗な鉢植えでした。
思えばそれが、私が自らの意思で迎え、手づから育てたはじめての植物だったと思います。
育て方を調べ、水をやり、蔦が伸びたら誘引し、根詰まりしたら土を変える。
そう変わった世話をしていたわけではありませんが、子どもにしては甲斐甲斐しく様子を見、咲かせる花の美しさに嬉しくなったものでした。
とはいえ、当時の私は園芸初心者で、マダガスカルジャスミンは室内で育てるには少し難易度の高い植物でしたので、そう長くは一緒にいられませんでした。
けれど、今でもこうして鮮明に思い出せる程度には、彼女(と便宜上呼びます)と過ごした日々は、私にとって大切なものだったのだと思います。
思えば、実家にはいつも花や植物がありました。
母親が園芸好きだったためです。
当時は特に意識していなかったのですが、進学のため実家を出た際、部屋の中を見回してふと思いました。
「何かが足りない」と。
「何か」と言いつつ、自分でもすぐにわかっていました。
そばに植物がいないのです。
それが、思いのほか寂しく感じられました。
気づけば、100円ショップに並んでいた観葉植物を部屋に招き入れていました。
慌ただしい学校生活とアルバイトの日々。
そのような中で、私は必然のように人生二度目の園芸を始めていました。
そしてその習慣は、不思議と今に至るまでずっと続いています。
こう書くと生家の影響がとても大きいと思われるかもしれませんが、私自身の体感としては、もっと根源的なもののように感じます。
おそらく私は、単純に植物という存在そのものが好きなのだと思います。
植物を育てる理由|得意ではなく、ただ「好き」
そう言ってしまうと、なんだかすごい園芸家のように思われてしまうかもしれませんが、決してそのようなことはありません。
むしろ、植物を育てるという点においては、どちらかというと不得手なのではないかと常々思っています。
原因が分からないまま見送ってしまった植物もたくさんありますし、今でも花を咲かせられない植物が部屋中に鎮座しています。
「やってしまった」と反省することももはや日常です。
では、そんな私がなぜ半生にわたり植物とともに生きてきたのでしょうか。
自分でも不思議に思います。
私がガーデナーとして尊敬しているターシャ・テューダーは、「美しいものに囲まれているのが好き」と言っていました。
確かに、そういった面も大きいかもしれません。
でも、理由はそれだけではない気がします。
植物のある暮らしの楽しさ|思い通りにならない自由な姿
むしろ私は、植物の美しさ以外の部分――つまり「予想外の事柄」に惹かれているところがある気がします。
思ってもみない時期に蕾をつけたり、予想外の場所から枝を伸ばしたり。
植物たちはいつも、私の予想の斜め上をいくように自由気ままに育っていきます。
私は世話人でありながら、彼らを自分の思い通りにコントロールすることはできません。
したいとも思いません。
ただ、彼らが彼ららしく育っていくために、手を貸しているばかりです。
私は植物のそうした自由な個性を好んでいるのだと思います。
同じ袋の種から育っても、驚くほど違った色の葉になったり、ひとつだけ突然大きく育ったり。
そんな彼らののびのびとした生き様に、いつも心を奪われています。
植物の歴史の面白さ|人と共に歩んできた長い時間
また、私は植物にまつわる「歴史的な背景」にも興味があります。
たとえば、古くから人々の暮らしの傍らにあったハーブたち。
昔の人々がどのような経緯で、どういった理由からその植物を愛し、育ててきたのか。
そうした物語に、日々思いを馳せています。
歴史学と植物学に親和性があるのかは分かりませんが、少なくとも私よりずっと長くこの地球上に存在し続けてきた植物たちには、深く興味深いエピソードがたくさん眠っています。
そして、そうした歴史を知るにつれ思います。
私が部屋に緑を増やしたいと思うのは、自然なことなのかもしれない、と。
古くから人は植物とともに生き、植物もまた人とともに生きてきました。
部屋に小さな緑を置いて、彼らの自由な姿を眺めながら過ごす。
それは、遠い昔から人と植物が紡いできた時間の延長線上にある、小さな幸せなのだと思います。
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